- 応神天皇(オウジンテンノウ)
- 神功皇后(ジングウコウゴウ)
- 仁徳天皇(ニントクテンノウ)
湧水町 筥崎八幡神社とは
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7月31日~茅の輪くぐり
11月19日~大王殿祭 ウォードンと呼び一種の豊祭。通常は内陣に納めてある面(四百年前より伝わる。
男神・女神の二面)を氏子が奉持し、「ウォー」の掛け声とともに町内を巡行して、悪霊が町内に入ってくるのを防ぎ、
氏子中の安穏を祈念する。
町内の移動は軽トラック 男面 女面 |
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創建年代は不詳であるが、正平=貞和(1345~1349)年間に筑前国筥崎宮の御分霊を、
薩州出水郷とともに勧請したものと伝えられ、
天正2年(1574)甲戍10月18日忠平公御代、
地頭南郷治部少輔忠行、座主光照院光宗代御再興」の棟札があった。
(忠平公は島義弘、光宗は光照院三代住侍)天正2年10月再興の棟札を所蔵している。
維新公(17代島津義弘公)は、飯野に在城の時、深く当社を崇敬された。毎年10月25日の祭礼には
直々に参拝され、引き続き奉納された流鏑馬を御覧になられたという。その時腰掛けられたという
義弘公の腰かけ石が今でも境内に残ってる。また当時は周辺各地に多くの祭田があったと伝えられる。
義弘公が奉納された「真幸」の銘入りの、長さ二尺二寸一分の大刀があったが
第二次世界大戦中軍により微発されて今はない。
奉納用の酒を入れる銚子一対は今残ってる
神功皇后社は、当社から東へ五町ばかりのところにあったが、今は箱崎八幡神社に合祀されてる。
彫り物(えりもの)について
箱崎では、昨年11月19日とお田植祭りで神楽を奉納することにしました。
そこで、踊りの場を華やかにしようと、昨年10月に宮崎県の天岩戸神社から19種類の彫り物を送って頂きました。
約1か月半で15種類の彫り物を切りました。
昔は、鶴丸八幡の神楽では、中神さんが切っていたようです(園田さん談)。
彫り物(えりもの)について(高千穂のHPより) ⇓
陰陽(月・日)五行(木・火・土・金・水)や、四季の風景や十二支や鳥居や湯だすきなどを和紙に図案化した切り紙です。
日之影町大人系統(山中・黒仁田)には十二支や家紋や神社名が、五ヶ瀬町桑の内系統(二上・芝原)には十干十二支が
デザインされています。上野・田原系統には、つばめや牛がデザインされています。岩戸系統の岩戸五ヶ村や永の内には、
弓矢や菊の御紋などがあります。
神楽を行う場所を神庭(こうにわ)と言います。広さは二間四方で原則として畳八畳分の広さです。
(※民家の都合では六畳の場合もありますが、細かいことはつっこまないでください。)
神棚がある神前の方を便宜上、東と呼んでいます。これは太陽が東から昇る為で、磁石が指す地図上の方向とは無関係です。
東に木
南に火
西に金
北に水をまつり
中央に土をまつるのが普通です。
それから、春は梅に鶯、夏は笹に馬ですが、大きい笹には駄馬、小さい笹には駒の二種があります。秋は紅葉に鹿、
冬は池にオシドリ(よしにオシドリ)がまつってあります。
現在の方向は、恐らく岩戸信仰によるところの鶏が西に入った為かなりずれていると想像されます。
色では、
東は青
南は赤
西は白
北は黒
中央は黄色をまつっています。