■疏水の概要・特徴

竹中池からの疏水により、当該地区の約90haの水田農業を潤い有機米生産組合も結成されるなど、こだわりをもった米の生産が行われている。  

また、水源より直接農業用水として活用しているため、用水路を使った水辺の空間が整備され、子供達の声が響いている。  

維持管理については、主に土地改良区で管理を行っているが、このきれいな用水は地域住民のシンボルであるため、地域ぐるみで清掃作業を行なっている。  

日常の保全活動により、夏にはホタルが群生, メダカ,トンボ,エビ,魚類など生息する環境になり、子供の学習の場にもなっている。


 

 初公開 疏水の源 1日9万トンが吹き出る 
 竹中池原水@

 竹中池原水A

※ 冬は水量が落ちます。見ごろは7月中旬〜9月です。

■疏水百選(そすいひゃくせん)とは

農林水産省が日本の農業を支えてきた代表的な用水を選定して、
用水によりもたらされる“水・土・里”(みどり)を次世代に伝え、維持する活動である。
農林水産省と「疏水百選」実施事務局が合同で、2006年(平成18年)2月3日に
決定したもの。

九州では、福岡県4箇所 佐賀県1箇所 長崎県1箇所 熊本県4箇所 大分県2箇所
宮崎県1箇所 鹿児島県2箇所(湧水町川添・南薩摩市川辺町清水岩屋公園内)
沖縄県1箇所 計16箇所

『疏水百選』とは、平成17年(2005年)10月から12月まで、広く国民の皆さまよりインターネットと
ハガキ・FAXによる投票を受け付け、その後の選定委員会による評価と合わせて、
全国の疏水の中から110箇所を選定したものです。

選定には、次の
4つの視点★が基準となりました 。



★1 農業地域復興(水産業を含む)
食料の安定供給や地域の農業振興に効果を発揮しているか
農業用水に加えて、産業や都市の形成など地域振興に効果を発揮しているか


●1 川添地区は平成16年から竹中池湧水有機生産組合による醸造用有機さつまいもや
有機米の 生産に取り組んでいいます。これらは小正醸造の焼酎「天地水楽」の原料となっています。
↓ 説明
鹿児島、霧島山系の麓、のどかな田園風景の広がる湧水町川添地区の有機栽培に
取り組む生産者が大切に育てたさつま芋(コガネセンガン)と米(ヒノヒカリ)を使った
有機100% の芋焼酎です。仕込み水/湧水町川添水源
 

●2 豊かな清流を利用した竹中・富永・福留・桑畑 4箇所の養魚場があり
,鯉・マスを出荷している。 郷土料理として鯉のあらい、鯉のから揚げ 
マスの活きつくり(マスマス繁盛=お祝い事に活用) マスの塩焼があり、
マスの寒露煮とマスの南蛮が特産品である
 

●3 竹中池ソーメン流しは地域復興に効果、県内有数の観光スポットになっている
 

●4 隣接している町営プールは地域住民、特に子供達の憩いの場として賑わっている



★2 歴史・伝統・文化

歴史的・文化的な施設を有するか 

● 1 熊野神社
新熊山三蔵院、天台宗 内小野寺は明治2年 廃仏稀釈で廃寺となったが
境内にあったご熊野神社は約800年鎌倉時代に建てられた由緒ある神社であり
代々愛甲氏が社司を世襲している



水を巡る伝統儀式や習慣が残っているか 

1 川添竹中支区「俵踊り」− 豊作を祝った踊りで、熊野神社の例祭(11月1日)に奉納、


2 「川添太鼓踊り」− 旧暦の7月27日 霧島神社に奉納されていた。 
当地区には文政・天保・安政年間の鉦があるので江戸時代の頃も踊られていた。
太鼓踊りはだいたい雨乞いに踊られるが川添地区には豊富な水があるので雨乞いは必要でなく、
水の感謝と祝い事にほとんど踊られている。
近年は阿波井堰の改修工事の着工時にお祝いと工事の安全を祈願して奉納した。

あたらし殿の御(おん)庭見れば 白銀(しらがね)のべて
襷(たすき)にかけて 小金(こがね)の枡で 米(よね)はかる

 水のお蔭でお米を作れる 五穀豊穣の唄も歌われています。


● 3 水への感謝のため「水神様」を奉ってある 

1 御幣 各家庭、水が湧き出ているところには必ず御幣をたて、感謝の気持ち表している

2 石碑 桑原千利宅西側 水天(不明)  竹中池ソーメン流し(明治13年=1880) 
  熊野神社水天(永徳3年=1382)
 
          
● 4 米への感謝を「田の神」に表している

1 馬迫重一さんの元屋敷― 池田支区の田の神 昭和28年(1953) 
2 桑原千利宅西側― 新村(上川添)の御田神 文化13年(1816) 
3 田の神を持ち回りしている 「田の神講」 が伝統として残っている
 

●5 農業に従事した牛馬への感謝 馬頭観音がある

1 池田支区 米永秋子宅
2 竹中支区 竹中池ソーメン流し裏口 


●6 灌漑工事・土地改良工事の記念碑が建っている
    
(かけた情けは水に流し 受けた恩は石に刻む)

1 桑原宅西側― 「底水桶つくり」 天保6年(1837)


2 国道268号線横沿いー 明治10年(1877年)竹中池の水を中津川地区に通す事業を記念して
  大正8年(1919年)に建立  鬼塚兼信建立 
 

3 米蔵宅下― 明治42年(1909年) 「當箱桶ハ松板ナリシオ 明治42年3月 工費490円
  人夫360人要し 石桶にに改造ス」 


4 竹中池北側駐車場横(親水公園の上) 4柱合碑してある


5 新しい水門の横― 平成9年(1997年)の大水害で多大な被害をうけたので、50億円かけて 
  竹中橋 門前橋 桶寄橋 作り変え 、堤防の嵩上げ、本川の川底を12万立方メートル掘削しました。    
   

  しかし、平成18年(2006年)の大水害はさらにその上を越してきた。
  参照 h18.7.22 鹿児島県北部豪雨大災害の記録
 


築造にまつわる由緒、偉人、知られざる歴史を秘めたものがあるか

●1  愛甲家と島津家 (詳細は内小野寺と愛甲家で)

建久8年(1197年)愛甲氏の先祖は’神奈川県愛甲郡の修験僧・愛甲小次郎忠雄で、源 頼朝が、
島津家初代忠久を薩摩・大隈・日向の地頭守護に任じたとき、忠久に従って下向し
筒羽野村を所領として与えられ当村に移り住み、内小野の住職となり、庭前に
熊野神社を祭って、代々その社司をも兼ねた。
愛甲氏は代々島津氏の信任があつく、島津義久(義弘の兄)の時まで、
寺領8町8反(872アール)をもらっていた。
島津義弘が永禄7年(1564年)加世田から飯野城に移ってくると、27代の住持、
愛甲相模坊光久は特に重用された。元亀3年(1572年)5月の木崎原合戦には、
すぐれた呪力をもって敵国調伏を行い、賓兵をもってよく伊藤氏の大軍を撃破せしめたので、
その功により霧島中央権現瀬多尾神社の別当寺・小林郷瀬多尾寺の座主に任ぜられ、
小林の地に田地3町3反をもらった。
又、感状や太刀一振りの外に光久の妻にも島津家の紋を付けた挟箱があたえられ、
愛甲家に今も伝えられている。
延宝8年(1680)9月、加治木島津家島津久住が当地に寄り、風光愁眉を賞して、
次の歌を残している。鳥居の下に記念碑を建ててあります

「 又もきて見すやあらなん此寺の  岩間の水の清きながれを」


3 環境・景観

ホタルや水棲生物など、さまざまな生き物が生息し、水質の保全や生態系豊かなものであるか
●1 ガマ(どんこ) はえ(おいかわ) ムッゴロ(かわむつ) いだ(うぐい) ごろい(かまつか) 
 アサデ(むっごろ・ハヤのおんじょ) まだら(ヤマメ) すいちっがま・いっぶ(ぬまちちぶ) 
 川えび ゲンゴロウ なけべっしょ(あかはらいもり)

      水生動物がいる環境は
整っているが、釣り禁止や
水泳禁止などが多く、子供
達の遊びや癒しの環境は 
少なくなっている。左記水
生動物の存在・名前さえも
知らない子供が多い。


●2 水源より直接農業用水として活用しているため用水路を使った水辺の空間が整備されている。
 維持管理については地域住民で年2回清掃作業を行っている。
  


★4 地域コミュニティーの形成

洗い場や散策路等として地域の日常生活に欠かせない施設として利用されているか
また子供から大人まで男女の参画による保全活動が盛んか


●1 竹中池・桶寄川を活用した「ホタルを見る夕べ」

平成16年(2004年)5月26日 「桶寄川蛍コンサート」 薗田憲一&デキシーキングス

  

平成26年(2014年)5月31日 疏水100選の郷 「川添ホタルを見る夕べ」 

 


●2 竹中池プールでの川添涌水群で飼育されたマスを放流しての「マスのつかみどり大会」

●3 昭和五十四年(1979年)
 「川添音頭」を作り 会議・イベントなどで士気高揚を図っている



●4 川添緑の少年団が結成されている(昭和58年)1983年

●5 オオカナダ藻がはびこるので、年1回竹中池の掃除を地区民で実施している


疎水と疏水

疎水=水になじみにくいこと、または、なじまないこと。
    水になじむことを親水と言います。竹中池親水公園

(例) 疎水性のある物質=水に対する親和性が低い、すなわち水に溶解しにくい、
    あるいは水と混ざりにくい物質のことである。

疎水は疏水の代用表記。戦後の漢字制限において「疏」が当用漢字(常用漢字の前身)
に含まれなかったので、代わりに「疎」が用いられたため、全く意味の異なる2つの語が同じ表記となった。
しかし最近は元の疏水が使われる事が多い。
筒羽野疏水 疏水百選 など