湧水町の田の神
「大牟礼の田の神」アート作品と握手している私
平成26年(2014年)
このページの協力者
画像提供 大重忠文氏 新村修三氏 湧水町観光パンフレット
参考資料 つつはの郷土研究会機関誌「つつはの」
詳細URL 麓のボケ老人様のHP「つつはのたより」 <吉松の田の神>で
●概要
田の神は、薩摩藩内のみに見られる独特の文化である。 県内に1500体あると言われ、
20体ほどが県の有形民俗文化財に指定し、保護されています。
@ 昭和43年県指定
(吉松)般若寺の田の神 明和9年(1772)
神像型宮崎型で県内最古
A 町指定 (吉松)鶴丸の田の神 安政7年3月(1860)
えびの市からの「おっとい田の神」らしい
B 町指定(吉松)市原の田の神 享保21年(1736)
町内で一番古い
C 町指定(栗野)真中馬場 推定江戸時代
御高祖頭巾(おこそずきん)を被った女人像
D町指定(栗野)水窪 寛保4年(1744)
永山郷中とある。当地区には永山性がないのでオットイ田の神では?
湧水町では2番目に古い
●種類(栗野は調査中)
野外石像=田園の畔や、路傍に立っている石像 吉松9体 栗野 体
野外自然石=自然石に「田の神」と刻んだもの 吉松8体 栗野 体
回り田の神=講の時各家々を回る小型の田の神 吉松12体 栗野 体
個人持ちの田の神 吉松5体 栗野 体
●石像の型
<仏像型>仏像に似たもの
<神像型>般若寺の田の神のように衣冠束帯の神像に似たもの
<農民型>農庶民の姿をしたものなどがある。
●行事
<田の神オットイ>(田の神盗み) 窃盗事件になるため禁止になった
自分たちの地区が不作の時、豊作の地区の田の神を盗んできて祀り、豊作を祈るものである。
二、三年たつたらお礼の品々(米俵・焼酎)等を添えて盗んだ地区に返す風習
<田の神講>春は二月の丑初丑の日に豊作を祈願し、秋は十一月の最後の丑(ウシ)の日に、
豊作の感謝の気持ちをこめて、集落総出で神事の後飲み食いをした。
またこの講は<回り田の神>と一緒の所もあり、古い講宿から新しい講宿に送る時は、
太鼓、三味線を打ち鳴らしながら送ったと言う。
<田の神舞い>
吉松では四月二九日伊勢講の時奉納されていたが、近年伊勢講が途絶えた為、
鶴丸八幡神社の氏子たちが夏越し祭りのときに境内で伝承を兼ね、毎年奉納していたが???
現在は踊り子不足のために???