肥薩線の世界遺産登録プロジェクト本格始動
(湧水町 広報ゆうすい 平成24年6月号より)
【肥薩線を世界遺産へ】
平成23年8月26日に熊本県人吉市、宮崎県えびの市、湧水町を中心に肥薩線沿線自治体など
11市町村が「肥薩線を未来へつなぐ協議会」を設立しました。
(現在、14市町村が加盟)。 そして、24年4月1日から人吉市役所内に肥薩線世界遺産推
進室が設置され、本町からも職員を1名派遣し、職員三人体制のなか世界遺産に登録するため
の鉄道関連施設の文化遺産調査や蒸気機関車D51の復活運行に向けた取り組みなど、一大プロ
ジェクトが本格的に始動しました。
世界遺産登録に向けた第一歩として、肥薩線にある木造駅舎やトンネル、橋梁、暗渠など多
くの鉄道関連施設について、国の有形文化財への登録を目指し、関係機関との調整が行われてい
ます。肥薩線を未来へつなぐ協議会では、今後10年以内での世界遺産の暫定リスト入りを目標
に事業が進められています。
【世界遺産とは】
1972年の第17回ユネスコ総会で採択された「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」
(世界遺産条約)に基づき、人類共通の宝物として未来の世代に引き継いでいくべき文化財や遺跡、
自然環境で、世界遺産委員会に登録された有形の不動産のこと。
文化遺産、自然遺産、複合遺産があります。なお、日本には現在、12の文化遺産と4つの自然遺産があり
ます。また、世界遺産に登録されるためには「暫定リスト」に記載される必要があり、そのリストには現
在、12の文化遺産が掲載されています。
【鉄道の世界遺産】
鉄道の世界遺産は、①ゼメリング鉄道(オーストリア)、②ダージリン・ヒマラヤ鉄道(インド)、
③レーティッシュ鉄道(スイス〜イタリア)の3つで、肥薩線は鉄道で4番目の世界遺産登録を
目指しています。
【ステュアート・スミス氏】が来町
世界遺産の中で産業遺産分野の審査を担当している、国際産業遺産保存委員会
事務局長のステュアート・スミス氏が24年の5月15 日と16日の2日間、世界遺産登録を
目指す肥薩線の視察に訪れました。
スミス氏は、「木造の駅舎やトンネル、橋梁、暗渠など完璧な姿で残り、
今なお現役で使われているのは素晴らしい」と評価。肥薩線がなぜ今の
ルートになり、当時の世界と日本の関係はどうであったかなど、
広い視野での検証が必要と指摘されました。
ブログ FMK Morning Glory より
人吉市 市長公室 企画課 肥薩線世界遺産推進室・山本研央さんにインタビューする |
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Q1 「肥薩線」の歴史的価値を具体的に教えてください。 肥薩線は、1909年(明治42年)、八代-隼人区間の南九州3県(熊本・宮崎・鹿児島)にて全線開通し、 明治近代化から戦後復興に至るまで、多くの木炭や坑木を運び、我が国の経済成長を力強く支えてきた。 また、肥薩線の全線開通により、青森~鹿児島の日本縦断鉄道が完成したという点で、 我が国の鉄道史においても特に記念すべき鉄道路線であるといえる。 肥薩線の魅力は大きく分けて3つ挙げられる。 ①沿線の鉄道遺産。 駅舎、線路、トンネル、橋梁など、 そのほとんどの沿線施設が、明治の開業以来の姿をそのままに、 1世紀の長きにわたって現役で活躍している。 ②沿線の自然景観。 八代-人吉の区間は「川線」と呼ばれ、 日本三大急流である球磨川(一級河川)に寄り添う形で、 深い渓谷の中を縫って走るため、 まさに水源郷としての神秘的な景観を楽しむことができる。 人吉-吉松区間は「山線」と呼ばれ、川線とは大きく異なり、 高低差430mもの非常に急勾配な 山岳地帯を登っていくため、 その先からは霧島連山の雄大な景観を楽しむことができる。 吉松-隼人の区間は、昔ながらの農村地帯が広がり、 のどかな日本の原風景を楽しむことができる。 ③肥薩線を愛する地域住民たち。 100年を超える肥薩線には、かつて人生を捧げてきた鉄道マンと 苦難と歓喜の物語が数多く存在し、 それ故、「人生の恩返しがしたい」という思いで、 沿線施設の清掃や周辺美化、案内ガイドなど、 第一線を引退した今でもボランティア活動が行われている。 こうしたボランティア活動は、元鉄道関係者に限らず、 沿線の農村集落の住民など、 地域の中で日常的に幅広く行われており、 100歳を超えた今でも肥薩線が長生きすることができている 最大の秘訣といえる。 |
Q2「肥薩線」を「世界遺産」に登録しようという今回の運動のきっかけは、 どんなものですか? 肥薩線は1世紀以上を経た現在においても、地域の足として、地元に親しまれ、愛されており、 開業当初の遺産が連綿と残る「地域の宝」である。 それらはまた、西洋の技術を輸入した明治時代から、今や世界に冠たる技術を擁するまでに成長した 我が国の鉄道技術において、 それまで軌跡を物語る貴重な文化遺産であり、当時の技術の粋を結集 しているという点で、現代技術の礎ともなっており、 まさに「日本の宝」ともいえる。難工事に殉職した 方々をはじめ、多くの労苦を伴って築き上げてきた先人たちの努力を顕彰し、 肥薩線を生きたままの姿で未来へ継承していくことは、現代の我々の努めである。 このため、日々の補修といった「介入による脅威」がありながらも国内における万全な保護管理を図りつつ、 「人類共通の宝」として最高級の顕彰が与えられる「世界遺産」という高い目標を掲げ、 それに向かって徐々に顕彰のレベルアップを図っていくことにより、地域活性化の起爆剤としていきたい。 また、蒸気機関車時代から経験談と共に語られる者たちの高齢化が進み、長い歴史の中で紡ぎ出されてきた 「男たちの技術と記憶」が風化しつつある今こそ、未来の世代に継承していうことが重要である。 そして、最大の難所である山線を支えていたD51蒸気機関車を復活させ、山線の景観とそれを力強く駆け上る 勇ましい姿を見せることにより多くの子供たちに夢と希望を与えられるような活動を展開していきたい。 |
Q3 「世界遺産」への登録まで、今後具体的にどんなステップを 踏んでいくのか、具体例に説明お願いします。 世界遺産に登録されるためには、まず日本国内の暫定リストに記載される必要があり、現在12の文化遺産が 記載されている。 その条件として、「顕著な普遍的価値の証明」と「国内における万全な保護措置」が求められ、 特に後者は国内法による保存管理が必要不可欠であり、これまで日本では文化財保護法による国宝、重文、 史跡などの 文化財指定でこの条件をカバーしてきた。 しかし現在肥薩線のような稼働資産について文化財保護法によらない「第三の道」が検討されている。 いずれにしても、暫定リストに追加記載できるような条件を整えるため、学術調査を実施し、肥薩線を構成する資産、 施設も大小さまざまなものがあるため、資産・施設の全容についての諸元等を網羅的に把握する必要がある。 その中で国の文化財制度などを活用しながら、施設の所有者であるJR様と協議を進めながら、 一歩ずつ着実に夢に向かって進んでいきたい。 |
Q4 国鉄OBの皆さんも「世界遺産」への登録にむけて協力体制を 組んでいるそうですが、具体例に説明お願いします。 人吉鉄道観光案内会は、100年以上の歴史を誇る肥薩線の魅力について、 そこで働いてきた人々の数々の苦難と歓喜のエピソードを体験とともに語り伝えることにより、 100年前に先人たちから受け継いだこれらの現役資産を、その息を途絶えさせることなく、このまま生きた状態で 100年後の後世に引き継いでいくことが必要である。 また、平成21年には肥薩線の全線開通100周年という節目を迎え、同年4月には、かつて昼夜を共にした 人生の相棒「SL人吉」の 復活運行が予定されていたことから、肥薩線自体も大きな転換期を迎えようとしていた。 このため、歴史の語り部として、過去-現在-未来の橋渡し役を担うべく、かつて肥薩線と人生を共にした熱意ある 元鉄道マンたちが立ち上がり、かくして、平成20年2月に「人吉鉄道観光案内人会」が結成された。 普段の活動内容は、①鉄道観光案内人としての養成講座・研修会②現地案内ガイド・語り部活動 ③こども向け体験イベントの実施④肥薩線沿線の美化・清掃活動、その他ボランティア・調査活動。 |
Q5 これまでの活動を通じて、最も印象深いエピソードをお願いします。 平成23年に人吉市で開催した肥薩線世界遺産シンポジウムにおいて、前ユネスコ事務局長の松浦晃一郎氏から 提言をいただいたことや平成24年5月に近代化産業遺産の世界的権威であるスチュアート・スミス氏に 肥薩線を実際に 視察いただき貴重な意見を伺ったことが印象に残っています。 それに、昨年末には、人吉鉄道観光案内人会が日本ユネスコの「未来遺産」に選定されたことも印象に残っています。 |
Q⑧ 今後の活動予定やPRしたいことなどあれば教えてください。 肥薩線の世界遺産に向けての取組みは、今スタートラインにたったばかり。 これから様々な調査研究や広報活動において積極的に取組み、 一歩ずつ前へ進んでいきますので、皆様のご協力をお願いいたします。 |
【肥薩線の特徴】
まず、通称〝川線〟と呼ばれる八代駅から人吉駅までの区間は、日本三大急流の球磨川に沿って 線路が敷設され、両岸とも山が迫った狭い山裾の河岸を通っています。 八代駅から人吉駅間の51・8㎞には開業当時23ヶ所のトンネルが掘られ(現在は、高田辺トンネルが 1つ増えて24ヶ所)、また、球磨川やその他の河川、小水路などを横断するための大小様々な橋梁が 存在し、それらの橋台は、建設当時のままの姿で数多く存在しています。特に球磨川を横断する球磨 川第一橋梁と第二球磨川橋梁は、米国のアメリカン・ブリッジ社が製作したものを輸入し 明治41年(1908年)に竣工しました。球磨川を斜角60度で渡るため、橋台や橋脚部分が川と平行に なるように設計されています。端柱の一方が垂直でもう一方は斜めである「トランケーテドトラス」と 呼ばれる形式のトラス橋は、全国で五橋七連が架設されましたが、現存するのはここ肥薩線に架かる 球磨川第一橋梁と第二球磨川橋梁の二橋四連のみであり、大変貴重な鉄道遺産であります。 次に〝山線〟と呼ばれる人吉駅から吉松駅までの区間は、加久藤カルデラの外輪山である険しい 矢岳峠を越えなければならないため、当時の蒸気機関車の能力で登ることができるぎりぎりの勾配で 線路を敷設しなければならないことから、日本初のループ線による勾配の緩和やスイッチバックと 駅ホームの組み合わせなど、建設には当時の鉄道建設技術が結集されました。その結果、人吉駅から 吉松駅間の35㎞には21ヶ所のトンネルが掘られ、特に最大の難工事であった矢岳第一トンネルは、 矢岳越えのため2096mにもなる長大なトンネルで、当時の我が国有数の長大トンネルでもありました。 肥薩線にあるトンネルの断面形状は馬蹄形アーチで、覆工(トンネル内部の側壁)はレンガ積みと石積み のものがあり、補修のため手が加えられたものがあるものの、ほとんどのトンネルは建設当時のままの 姿で現役の鉄道施設として利用されています。 このほかにも、国の有形文化財に登録された嘉例川駅や大隅横川駅、大畑駅や矢岳駅など100年を 越えた木造駅舎が8つ残存しており、また、湧水町には開業当時の趣を伝えるレンガでできた暗渠 (あんきょ)が数多く残っています。 このように、橋梁やトンネル、木造駅舎や暗渠など、今から遡ること100年以上前の明治期に、当時の 我が国の鉄道建設技術を駆使して造られた様々な鉄道施設が当初の姿をとどめながら数多く存在する とともに、今なお現役の鉄道施設として利用されている路線は他所にはなく、肥薩線そのものが貴重な 鉄道遺産群であるといえます。 (参考文献) 肥薩線の近代化遺産(弦書房)熊本産業遺産研究会編 肥薩線 熊本県球磨地域振興局編 |