平成23年(2011)10月8日(土) ボランティアガイド講習時
阿波井堰の向こう岸及びつり橋を渡る機会を得ました。
みなさん、私と一緒に散策してみましょう。
平成27年には上流に新しく可動堰が造られ、この堰も橋も撤去されます。
これらの画像は2度と見れませんので、貴重な記録になると思います。
つり橋を渡る |
だいぶ錆びているようです。 何時完成したのでしょう? 少し揺れましたよ。 |
つり橋から見た阿波井堰 |
文字説明 栗野発電所 取水口 自動転倒排砂門 魚道 |
取水口 排砂扉の詳細 |
堰の下流50mの位置には 345年前開通した北方用水の跡が 残されています |
大日如来の凡字が刻まれている洞窟 魚が往来するための魚道 |
洞窟と凡字 |
大日如来(だいにちにょらい)は、密教において宇宙 そのものと一体と考えられる汎神論的な如来(法身仏)の一尊。 その光明が遍く照らすところから遍照、または大日といわれます。 種子(種字)は胎蔵曼荼羅ではアーク(aaH)またはア(a)、 金剛界曼荼羅ではバン(vaM)、発音。 彫られた時代は定かではありませんが、阿波(アバ)の 由来を探求するにふさわしい凡字です。 「あ」と「ばん」→阿波「あば」と呼ばれるのでは?とのことです。 詳細は「阿波井堰の由来は?」参照 |
向こう岸から見る阿波の絶壁 |
この絶壁には「岩ヘゴ」が生えていました。 中学生の頃、身体をロープでしばり採取した思い出が。 今思うと後ぜっ(後からくる身震い)がします。 この崖の下が今は旧道になっている阿波街道。 元治元年(1864)薩摩藩の費用で開通しました。 「吉松古蹟考」では阿場道となっています。 |
平成24年(2012)10月、上流に可動式堰の工事が始まりました。
平成27年(2015)の完成後は阿波井堰は解体されます。
こんな渓谷に1世紀以上も持ち堪える昔の土木技術に感心しますね。
右図の新可動式堰ができるまで ↓
平成27年(2015)11月26日(木) 旧阿波井堰撤去工事現場見学会
①全員ヘルメット着用見学開始 ② 国交省の説明(ありがとうございまいた) ③下に降ります 中央は魚道です
④魚道拡大(凹凸で魚の侵入を助けます ⑤新可動堰全景 ⑥仮設橋で向う岸に渡ります
仮設橋中央より下流を見る(要保存されたし)
仮設橋中央より上流を見る(要保存されたし)
➆向う岸で可動堰の説明 ⑧扉は水量により角度を変えられる ⑨阿波渓谷を眺めながら現場へ
⑩旧阿波井堰に到着(取水口前) ⑪排砂門全開 ⑫記念撮影
⑬参加者と工事関係者に偶然同級生が5人
在りし日の旧阿波井堰
①平常時の阿波井堰 ②水害時の阿波井堰 ③落水時の阿波井堰
④向う岸 ⑤下流を望む ⑥上流を望む
➆吊り橋より望む(工事前) ⑧落水し、撤去工事を待つ旧阿波井堰
平成28年(2016)3月 旧阿波井堰に説明看板が立ちました。
平成28年(2016)5月10日 提全開の様子 撮影(大重)
有難いことに、完成後には大きな水害には遭っていません。
これまで尽力された多くの関係者・応援者・行政・議会の皆様に感謝です。