平成28年1月16日 (2016)  場所 湧水町中央公民館


  姶良・伊佐地区生涯学習推進大会で記念講演

  連続画像(youtube) 

この花は福寿草で今年の元旦に、相良村の山に登り撮影したものです。
 私は18歳で愛知県のトヨタ自動車に就職しました。

1年後、寮生活が嫌でアパート住まいの生活にしました。6畳一間に何にもない部屋で、ここが人生のスタートなのだと強く意識しました。

そして初めて自分の将来の生活を考えて、まず生活基盤をしっかりしなきゃいかん、そのためには毎日勉強をしようと初めて思いました。

そして感動ある人生を送るには老後を意識した生活を送ろう。そのための活動を、今からしようと思ったわけです。

スローガンとして「山を登り、情景に感動し、写真を撮り、草花に感動し、花を生ける」そんな人生を送りたいと思ったのです。
 この目標を実現する為には、故障しない体と、登山技術を磨くために、山岳会に入り、心身を鍛える。情景や草花に感動する心を養うためには写真を学び、また生け花教室に通って基礎を学ぶ。

この生活スタイルも、プロ並みの領域まで達したいと思ってすぐ、登山のほうは豊田山岳会、いけばなは古流に入りました。
 その後、なにごとも真剣に取り組んでいました。そして23歳の時チャンスが巡ってきました。横浜から船に乗りソビエトに渡りヨーロッパアルプスを目指す。そしてアルプスで4ヶ月の登山をしたあと、シルクロードを経て現地の交通機関を使い陸路でネパールヒへ入る。

ネパールではヒマラヤのまだ登られていない山々の偵察をする。帰国まで約8ヶ月に渡る壮大な企画でした。先輩から誘いを受け、とにかく外国に出たいと思っていたので行くことにしました。
 アルプスでは二人でザイルを組み、ドリューの北壁やモンブラン、マッターホルンなど3ヶ月間の登山を行いました。

左がドリュー(3733m)の北壁です。標高差1200mの岩壁です。この岩壁を2泊3日で登りました。 右が4810mのアルプス最高峰モンブランを、登って帰る途中の写真です。
 おなじみのマッターホルン4478mです。標高差1200あります。この日は天候の急変で、下山途中岩壁にぶら下り寝る破目になりました。アルプスの岩壁登山は1泊か2泊岩壁の中でぶら下って寝ます。

登山が終わり、1日休養を取って、また山に向かう。そのような生活の中で、3ヶ月間で約30本程の岩壁や氷壁のルートを登ることができました。
 3ヶ月も過ぎると一人で行動したくなり隊を解散しました。私は1ヶ月間ヨーロッパ各地を一人で旅行し、ギリシャから中近東に向かいました。トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタン、インドと陸路で現地の交通機関を使い、いろんな街で現地の方々にお世話になりながら旅を続けました。

50日かけてネパールに入った時には、同じ顔立ちのネパール人を見て緊張が解けて涙が溢れました。
 ネパールではナムチェバザールの宿の方に、シェルパを紹介してもらいポーターと3人で未踏峰の山岳地帯に入り偵察しました。
この写真の地点は5755mの峠を越えているところです。
 ネパールでは3地域の山岳地帯をシェルパ、ポーターと三人で巡り、たくさんのまだ登られていない山の写真を撮り、8ヶ月の旅を終えました。
 いっぽう情景や草花に感動する、心を養うための(いけ花)は、帰国後も古流を、積極的に楽しく学んでいました。

これは当時、花展に出した作品です。右側の作品は3m以上あります。
 今度は29歳の時、山岳会創立20周年事業での企画が持ち上がりました。そこで日本、ドイツ隊が、相次いで遭難し失敗している、インドヒマラヤのホワイトセール峰6500mの東南稜からの登山を企画しました。約2か月間の登山ですが、仕事も家庭も忙しい時期でしたが、なんとか理解してもらい進めました。

私が遠征隊の隊長で行くことになり、この時のメンバーの年齢、経験年数もバラバラで自己主張も強く大変でした。これをまとめ、ルート工作から20日間で、世界で初めての東南稜から全員が山頂に立つことができ、この山の歴史に名を刻むことが出来ました。
 その時の写真ですが、氷壁の連続で厳しい山でした。この遠征隊を率いて学んだことは、たくさんありますが山登りも仕事の面でも組織の運営、目標管理は同じであり、この遠征から貴重なことをたくさん学び、のちの仕事の面でも非常に役に立ちました。
 そして30歳を過ぎた頃は家庭も仕事も忙しい時期でしたが、世界で誰も登っていない山、ドルジェラクパ峰(7000m)の登山申請を進めていました。

33歳の時にネパール側と合同登山隊なら、許可されそうだとの情報を得て、すぐ一人を派遣しネパール政府との交渉をさせました。その結果、ネパール側の隊員3人が決まり、医者を含め合計11名で登山隊を結成しました。キャラバンなどで現地の村人達を、診察させるためにも、遠征隊には医者の同行が条件でした。

年齢や登山経験も3年から18年の幅がありましたが、私が合同登山隊の隊長で指揮を執ることになりました。
 トラック2台で奥地まで入り、そこから先は75名のポーターを雇い総勢100名で、キャラバンを組んで山に向かいます。

10日間かけて、4200m付近にベースキャンプを設営している様子です
 これは約6000m付近を登っている光景です。黒い三つの点が隊員でルートを決めながら、ザイルを固定しているところです。
 これは頂上へのルート工作中で6500m付近です。
 日本を出発して2ヶ月かかり、山頂に私を含め7名が立ちました。このあと3日遅れで2名の隊員も山頂に立ち、日本側全員8名とネパール隊員1名が山頂に立ちました。

この山はカトマンズからも望むことができます。結果的には世界で2番目にこの山の頂に、立ったことになりましたが、この山の歴史に名を残すことができました。
 一方「いけばな」については、古流を離れ違う流派も学びたいと思い、45歳から池坊に入門し12年間学びました。これは花展に出した作品です。
二つの流派とも教授の免許をいただき、二十歳の目標はかなえたかなと思います。しかしながら芸能界に出て活動していたら、今テレビで活躍の草月流、仮屋崎省吾さんの上を行っていたかもと 思ったりします。
 現在の登山の取り組みは、鹿児島山楽会のリーダー、顧問をしています。現在も年間80日ほどは、登山に出かけています。そして毎週魅力的なコースを企画し案内しております。

冬は仲間と氷壁や雪山をこのように楽しく登っています。
 夏は沢登りを主体に登っています。安全に神経を使いますが、技術指導しながら各地の沢を案内しております。
    また夏、秋は毎年アルプスへ出かけていますが、昨年は7月に北海道の大雪山系、そして秋には北アルプスへ9名を率いて登りました。
登れるうちは安全に配慮し、仲間を誘い挑戦しようと思っています。
    また61歳から新たに竹細工を習い、撮りためた写真で「山岳写真・竹細工」の個展をここ中央公民館で開催しました。

続いて2013年5月には、いきいきセンターの町民ホールで、2回目の「山岳写真・竹細工」の個展」を、開くことができました。
   
    二十歳の時思ったことに竹細工を加えて学んでいます。
竹細工もハマると面白いです。これは2m30cmのモニュメント照明器具です。

モノづくりは製作過程が難しいほど、完成したときは嬉しいものです。
今は、山を登り、風景や高山植物に感動し、写真を撮り、草花を自分で作った竹かごに生けて楽しんでいます。
   
    これは山岳写真展の案内です。第3回の山岳写真と竹細工の個展を平成28年 1/13~2/10 栗野中央公民館で開催しました。

写真技術は社教の写真教室で学んでいます。まだまだ未熟ですが興味を持ち、取り組みたいと思います。
    また地域の歴史に興味を持ち、夫婦で、湧水町ボランティアガイド
「わくわくぽっぽ会」に入り、仲間に刺激を受けながらボランティアガイドとして、湧水町の歴史や観光地の案内にも取り組んでおります。

なかなか歴史が頭に入らないのが悩みですが、これも経験を積めば何とかならんかな~と思っています。

湧水町の皆さん一緒に「湧水町ボランティアガイド、ワクワクポッポ会」で活動してみませんか?
    最後にこれまで協力してくれた家族や友人に感謝し、また本日は、私のつたない話を聞いてくださり、ありがとうございました。