発見 昭和48年(1973)1月20日

平成10年(1998) 「よしまつ史跡めぐり」より



径7.4cm 蒲鉾型を有する素文鏡(そもんきょう)で
素文鏡=背面に模様がない鏡

鈕(ちゅう)=つまみを欠損した仿製鏡
仿製鏡=大陸から輸入した鏡を模倣して作った鏡
   鉄鏃=鉄製の鏃(やじり) 画面右
参考文献 文学博士 新棟晃一 先生の
「永山古墳の発見とその意義について」より
 
 
   

大和朝廷(幾内型古墳=前方後円墳・円墳)・熊襲・隼人族の
墳墓から出る出土品で時代が推察されます。
永山古墳は1500年前と推測されました。


前方後円墳


参考文献 文学博士 新棟晃一 先生の
「永山古墳の発見とその意義について」より


地下式板石積石室墓は「薩摩隼人」
地下式横穴墓は「日向隼人」
立石土壙墓は「阿多隼人」と言われています。



永山に地下式板石積石室墓 鶴丸に馬場地下式土壙墓群がある。
湧水町吉松はこの2つの墓制が重なる地域である。
両古墳群は幸いに古墳群全域が保存されており、
過去の文化財を後世に残す地元研究会(つつはの郷土研究会)と
行政当局の取り組みは高く評価されている。

参考文献 文学博士 新棟晃一 先生の
「永山古墳の発見とその意義について」より

参考文献 文学博士 新棟晃一 先生の
「永山古墳の発見とその意義について」より