湧水町つつはの郷土研究会(監修 吉岡勇二)
<始めに>
当会は1971年(昭和46年)創立から52年の長期に渡り活動して参りましたが、
高齢化等諸般の事情により、2024年(令和6年)3月31日をもって解散いたしました。
皆様方にこれまで賜りました御支援・御協力に心より深く感謝申し上げます。
当会の概要を50周年記念事業でを作成しましたので是非ご覧ください。
<湧水町つつはの郷土研究会の組織概略>
旧栗野町と旧吉松町は平成17年(2005年)にが合併し、湧水町になりました。
合併前は吉松町つつはの郷土研究会で良かったのですが
”合併して湧水町になったのだから、名称も「湧水町郷土研究会」に変更したらどうか”
という意見が出て、平成28年度の総会で審議した結果、
今まで通り、伝統を重んじようと言う事で「つつはの」の名称は残すことになりました。
その代り、口頭・文章化する際は必ず、湧水町を前置きし、
湧水町つつはの郷土研究会と呼ぶよう全体一致で確認したところです。
発足 | 1971年(昭和46年)10月16日設立 |
目的 | 郷土史及び考古学の研究調査を通じて、会員相互の親睦をはかる |
事業 | 1 定例研修会の開催(年3回) 共同作業と町内研修と重なることがある 2 史跡・遺跡の共同調査及び文化財の清掃作業 3 古文書・資料類及び郷土文化財の研究と保存 4 資料の刊行 ●機関誌「つつはの」 創刊号 1972年(昭和47年) 歴史 史跡 芸能 文化 観光など多彩な郷土情報誌 2021年(令和3年) 現在45号 ●会報「温故伝」 故(ふるき)を 温(あたた)め 伝(つたえ)る 「行事のお知らせと活動報告」を目的に 2012年(平成24年)より発行 会報名が温故伝になったのは18号から 参照 「温故1号」 「温故伝18号」 令和元年「温故伝25号」 5 町内研修と町外研修 平成22年(2010)までの研修はここで見れます) |
名称の由来 | 往古の湧水町吉松地区は筒羽野(つつはの)村と呼ばれていたから |
会員&賛助会員 | 令和5年12月現在 正会員33名 賛助会員51名 |
歴代会長 | 林昭男 平野良雄 水谷浩 高城豊 西田富善 古川重郎 新村修三 愛甲博則 |
最後の役員 (令和6年度) |
会長(愛甲博則) 副会長(山口 優)) 会計(代行 山口 優) 書記(藤井義則) 幹事(大重忠文 黒木善夫 古町泰文 植林伸洋 吉岡勇二) 監査(中村和博・南 隼人) |
(故)初代会長 林 昭男氏の思い
「我々会員は学者でもその道の専門家でもない。
先輩が残されたものを素直に引継ぎ、それを保護し、
後世に伝えようという心情が大切だ」
「井の中の蛙 大海を知らないでいい。
近い将来大海を知り、大海に進出する日のあることを
<参考資料> 機関誌「つつはの」・平野良雄画集・宮之下繁雄画集
湧水町名所ガイドブック「温故知新」
湧水町生涯学習課発行資料・広報「ゆうすい」
南日本新聞記事
1969~(昭和44年~48年) 般若寺跡の調査と復元作業開始
1971/10/16 (昭和46年) 創立
●
(昭和46年)頃
1971 吉松の庚申塔・田の神像・田の神舞の調査
●
(昭和47年)
1972/1/20 つつはの創刊号発刊
1972/4/26 永山古墳の発見と調査開始
1972/7/1 つつはの2号
天然記念物”ひがんざくら”調査
1972/9 愛甲家と内小野寺跡の調査
1972/12/16 つつはの3号
●
(昭和48年)
1973/5/19 般若寺跡墓石群復元作業終了
1973/7/7 文化講演会(鳥集忠男先生・片山謙二先生)
1973/7/20 つつはの4号
「諏訪御由来之縁起」調査開始
1973/12/22 つつはの5号
1973頃 テレビ出演6回(この時期よりラジオとテレビ取材多し)
吉松町の民具調査開始
●
(昭和49年)
1974/2/16 肥田木重文先生講演「薩摩の学風」
1974/7/20 つつはの6号
1974/8/1-6 鹿児島民俗学会との共同調査
1974/12/17 赤坂城跡復元作業
●
(昭和50年)
1975/2/5 民俗芸能研究会
1975/3/20 つつはの7号
※窪田仲一郎氏「栗野郷土誌あれこれ」
※井上春香氏「栗野松尾城」
1975/11/8 麓地区墓碑調査(この時期より町内の墓碑調査開始)
●
(昭和51年)
1976/3/14 古三味線楽研究会でゴッタン演奏
1976/3/31 つつはの8号
1976/9/18 県茶業試験場一行般若寺跡案内
1976/9/18 民俗芸能研究発表会(都城市・えびの市・菱刈町・吉松町)
1976/11/21 光照院跡供養塔・清瀧神社記念碑の採択
●
(昭和52年)
1977/5/1 つつはの9号
1977/11/30 つつはの10号
※吉松町の文化財
1977/6/14 霧島町史談会と交流
1977/10/15 稲葉崎供養塔採択
●
(昭和53年)
1978/2/5 栗野田尾原地区の民具調査
1978/3/4 「ゴッタン発表会」
荒武タミさん 「荷方節」
鳥集忠男さん ヤッサ節・松島節 その他4曲 (QRコード)
鳥集忠男先生「ヤッサ節」
1978/8/26 日南史談会と交流
1978/9/17 「つつはの音頭」創作発表会
1978/9/30 吉松中学校郷土クラブ指導
「吉松亀鶴城并宗廟遺書」山下繫三郎氏解読開始
1978/11/1 つつはの11号
●
(昭和54年)
1979/1/26 鶴丸で町内最古の板碑発見(正平10年)1355年
1979/2/24 坂口雅柳先生「九州の地蔵信仰」
1979/9- 吉松の民具調査開始
●
(昭和55年)
1980/3/19 「口頭伝承発表会」民謡・笛・木挽き唄
1980/7/27 栗野地区歴史資料調査
1980/9/6 所崎教授 神舞調査で来町
1980/10/28 永山古墳番号札建て
1980/11/20 町内文化財の案内板と標柱の建て替え
1980/2/1 つつはの12号
1980/12/1 つつはの13号
●
(昭和56年)
1981/2/21 「口頭伝承発表会」鳥集忠男先生
1981/3/7 町社会教育大会で表彰
1981/6/24 古文書グループ研究会発足
1981/12/1 つつはの14号「10周年記念誌」
1981/12/5 (昭和56年) 創立10周年
●
(昭和57年)
1982/3/6 河野春雄先生
1982/11/4 民具を収集し町文化祭に展示
●
(昭和58年)
1983/2/19 永山古墳「中学生研究発表」
1983/7/5 つつはの15号
●
(昭和59年)
1984/2/18 「ふるさとの正月行事と遊び」
1984/7/23 少・中教諭史跡巡り案内
1984/11/4 鳥集忠男氏・宮ノ下繫雄氏・園田憲雄氏 文化祭で表彰
●
(昭和60年)
1985/2/16 「ローカル線 今と昔」
1985/7/29 つつはの16号
●
(昭和61年)
1986/2/23 「方言の集い」
1986/9/20 つつはの17号
●
(昭和62年)
1987/2/14 「わらべ唄」
1987/8/17 小学校郷土資料室整備
1987 吉松小学校郷土クラブ支援
●
(昭和63年)
1988/11/12 郷土の年中行事 吉松町文化祭で写真展示
1988/11/18 つつはの18号
●
(平成元年)
1989/1/19 稲葉崎供養塔採択
1989/3/18 阿波井堰・熊襲穴・発電所・北方水田調査
1989/3/19 「暮らしの中にことわざ<格言を生かそう>
1989/12/29 つつはの19号
(平成2年)
1990/2/25 町外研修<福昌寺跡>
1990/3/4 南九州古石塔研究会接待<永山古墳>
1990/3/10 「盲僧琵琶弾奏」
1990/5/29 鶴丸馬場遺跡発見
1990/7/9 ヒガンサクラ伐採の件んで営林署へ申し入れ
1990/7/10 町内巨木調査
1990/10/25 つつはの20号
※「霧島山麓の遺跡」調査報告
編集者 米満重満氏
●
(平成3年)
1991/3/16 「熊襲と隼人」
1991/11/22 つつはの21号 <会長 林 昭男氏の祝辞>
1991/11/23(平成3年) 創立20周年
永山古墳に植樹と記念碑建立 1991/10/11
記念誌「つつはの郷土研究会 20年の歩み」
●
(平成4年)
1992/3/15 「天吹演奏」
1992/6/28 鹿児島県考古学会来町
●
(平成5年)
1993/3/27 「七ツ段・石打遺跡調査中間報告」
日本考古学協会会員 盛園尚孝先生
1993/6/10 つつはの22号
※特集 「吉松の石塔」
●
(平成6年)
1994/3/19 「霧島の植物」 杉元先生
1994/7/10 つつはの23号
※特集 「吉松の民族」
●
(平成7年)
1995/2/20 講演会「復興されつつある般若寺」
1995/2/21 講演会「吉松の古代をみんなで学ぶ」
1995/3/8 「西南戦争の真実」 山田尚二先生
1995/2-10 第1回~第8回 「古文書講座開講」
1995/7/10 つつはの24号
●
(平成8年)
1996/3/30 「島津斉彬の人と事業」 芳 即正(かんばし のりまさ)先生
日本史学者
県立図書館館長 → 尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)館長 歴任
1996/4/6 内小野寺墓碑撮影
1996/5/19 栗野町古石塔調査
1996/11/3 つつはの25号
●
(平成9年)
1997/3/22 「南九州の数え唄とミタマシズメ」 鳥集忠男先生
1997/9/1 初代会長 「林 昭男氏」 逝去
●
(平成10年)
1998/3/3 つつはの26号「林 昭男先生追悼特集号」
「お彼岸の心について」 円乗寺住職 石神慶正先生
1998/9/7 資料館建設に関する陳情書提出
●
(平成11年)
1999/3/20 「鹿児島と東南アジア民俗文化の比較について」
黎明館学芸専門委員 川野和昭先生
1999/6/20 つつはの27号
●
(平成12年)
2000/3/18 「吉松町 七ツ谷・石打遺跡発掘調査の成果をかえりみる」
鹿児島立埋蔵文化財センター調査課 課長補佐 新東晃一先生
2000/6/20 つつはの28号
2000/7/27 つつはのまるごと探検隊発足
2000/12/12 小学校しめ縄作り指導
●
(平成13年)
2001/3/17 「島津義弘と関ケ原合戦」
尚古集成館 文化財課長 松尾千歳先生
2001/6/20 つつはの29号
2001/10(平成13年) 創立30周年
●
(平成14年)
2002/3/16 「見つめ直そう ふるさと”よしまつ”」
吉松町国際交流員 アルチェレッタ カビールさん
演題<キャビアが語る アメリカと日本>
2002/4/20 つつはの30号「創立30周年特集号」
2002/11/1 県教育委員会より 「文化功労団体」 県下第一号表彰
●
(平成15年)
2003/3/15 「国分市縄文の森」
2003/11/17 つつはの31号
●
(平成17年)
2005/3/12 つつはの32号
2005/3/13 「亀鶴城視察」 市田寛幸先生 演題(山城について)
2005/3/22 吉松町と栗野町が合併して湧水町となる。
2005/11/9 文部科学省より 「地域文化功労者 大臣表彰」
●
(平成18年)
2006/3/19 「中世の古道」平田信芳先生
2006/7/23 鹿児島県北部大水害で事務局の在庫の機関誌・古文書・文献が被害
2006/9/30 学習会 南方神社で当会の無事発展を祈願し、吉松地区の寺社跡現地研修
●
(平成19年)
2006/10/25 つつはの33号
2007/3/11 「薩摩焼発祥の地栗野」 関 一之先生
2007/9/22 栗野地区文化財調査
●
(平成20年)
2008/3/15 「般若寺の石塔調査報告」 前迫亮一先生
2008/10/24 つつはの34号
●
(平成21年)
2009/6/27 般若寺茶献茶式に参加 講師 原口 泉先生
2009/9/26 学習会 般若寺ミタラシ池の調査
●
(平成22年)
2010/2/25 つつはの35号
2010/4/25 「郷土(きょうど)のことを知ろう」自主研修会
2010/9/26 川添湧水群・沢原高原の自然探索会
●
(平成23年)
2011/10/7 つつはの36号「創立40周年記念特集号」
2011/11/3(平成23年) 創立40周年
記念式典 祝賀会
「よさこい つつはの音頭」 創作 湧水町レクダンス教室
●
(平成24年)
2012/3/11 町生涯教育推進大会で田上舜一氏講演 「島津義弘と湧水町」
故ふるきを 温あたためる
2012/12/6 つつはの37号
2012/9/14-17 鹿児島県民具学会「霧島山麓の民具」共同調査に随行
●
(平成25年)
2013/5/13 湧水町郷土資料館完成
湧水町資料館開館に協力
資料館完成までの活動記録
2013/8/11 拓本講習会 講師 平島久弘先生
2013/8/12 永山古墳除幕式に招待
2013/12 つつはの38号
●
(平成26年)
2014/2/23 文化財の清掃活動開始 清掃作業詳細はここで
2014/7/17 ダイヤメ前講習会で「義弘公」を学ぶ
2014/12 つつはの39号
名称を「湧水町つつはの郷土研究会」に改正
●
(平成27年)
2015/8/23 町内研修「勝栗神社の清掃と研修」
2015/11/26 阿波井堰見学会に20名参加しました
2015/12/10 つつはの40号
●
(平成28年)
2016/2/28 町外研修「大和朝廷時代~戦国時代までの国分隼人の史跡を訪ねる」
2016/5/27 第45回 定期総会
2016/7/2 般若寺遺跡見学会
2016/9/24 町内研修「黄金搭 松尾城 霧島神社 亀鶴城」
2016/10/26 愛甲家と内小野寺跡研修
2016/12/2 つつはの41号
●
(平成29年)
2017/2/25 町外研修 鹿児島市内の「西郷隆盛とゆかりの地めぐり」
2017/5/26 第46回 定期総会
2017/6/25 西郷宿泊地案内板設置と山口家研修
2017/7/23 内小野寺跡再興に向けての共同作業
2017/9/24 愛甲家歴代住持墓石確認調査開始
2017/11/ 機関誌編集の為のパソコン倶楽部発足
2017/12/20 つつはの42号
故ふるきを 温あたため 伝つたえる
●
(平成30年)
2018/2/18 筒羽野疏水・竹中池のオオカナダモの除去作業に参加
2018/2/24 さつま町研修
2018/3/11 第2回愛甲家歴代住持墓石確認調査
2018/6/6 第47回総会報告と平成30年度活動方針
2018/7/8 内小野寺跡の板碑調査
2018/8/11 第3回愛甲家歴代住持墓石確認調査
2018/9/22 定例研修会「湧水町の歴史再発見」 講師 新東晃一先生
2018/11/16 第3回鹿児島県金山交流会
2018/12/20 つつはの43号「明治維新150周年記念誌」
●
(平成31年=令和元年)
2019/2/16 「島津義弘公没後400年記念講演会」パネルディスカッションに会員3名登壇
2019/7/14 鹿児島県「県民の日」の歴史講座でDVD視聴と講座を担当
2019/7/27 栗野北方 永山家古墓調査
2019/8/3 熊野神社水天碑の学習会とボランティア清掃
2019/11/30 栗野上場地区研修
つつはの44号「島津義弘公没後400年」
●
(令和2年-令和3年)
2020-2021 新型コロナウイルス蔓延の為活動休止
2021/11(令和3年) 創立50周年
記念事業 ① 我が町の記憶遺産<旧国鉄吉松駅と周辺>の看板制作
記念事業 ② 機関誌「つつはの45号」<創立50周年記念誌>
記念事業 ③ 記念動画(制作 古町泰文氏) PART1 PART2
2024/3/31(令和6年) 解散
「長きにわたる御支援・御協力に感謝申し上げます」
以上が「湧水町つつはの郷土研究会50年の活動記録」です。
①活動記録写真 ②資料(定期総会・史談会・機関誌全号・新聞掲載記事)の収集でした。
私がhpを開設したのは平成12年(2000年)
この時期に会員になりましたので、これ以後の記録はその都度コツコツアップしてきましたが
一番苦労したのが、発足当時から20年ぐらいまでの活動記録の資料収集でした。
辛くも、中堅幹事として活躍されていた(故)宮ノ下繁雄氏と(故)平野良雄氏の写真集を
ご家族の方のご協力で贈呈していただきましたので、今回の編集作業に大いに役立ちました。
改めて収集にご協力頂いたご家族の方々に感謝いたします。
2024年3月31日に解散しましたが、お節介者〇〇が現世にいるうちはインターネット・シナプスさんに席を置きます。
ご視聴ありがとうございました。
<下記の活動記録は、上記活動記録とリンクしています>
2016/10/26 愛甲家と内小野寺跡研修
「小雨決行」でしたので9名の参加でしたが、川添公民館でミッチリ学習しました。
2016/9/24 町内研修
<研修行程>
黄金搭 トップページ 稲葉崎の供養塔を参照
松尾城 大重氏のガイドに耳を傾ける会員
昼 食 アーモンドラーメン「あら木」 案外初めての人がいて喜ばれました。
霧島神社 鹿児島県姶良郡湧水町川西永山灰床(ヘトコ)
祭神 天津彦火瓊瓊杵命 木花咲耶姫命
彦火火出見命 豊玉姫命 玉依姫命
例祭 9月9日
境内は相撲でにぎわったが今は途絶えて行われてない。
初めての会員が9割でしたが、静かで良い所でした。ちった看板も・・・・↑
田上副会長のガイド↓
亀鶴城 トップページ 亀鶴城を参照
鶴城は天守郭まで藪で行けないので亀城に登りました。
前日に大重・新村・吉岡・古川・山口で亀城の道作りをしました。
解 散 14時10分 亀城から見る下界は見晴らしが良かったな。
よか見物をした。あいがとさげもした。
2016/7/2 般若寺遺跡見学会
会員に配られた案内パンフレット
平成28年から活動を開始 「いっでん加勢をすっど隊」=IKST
の皆さんがガイドしました。
① 上山住職による境内の施設と祈願所の案内と、廃仏毀釈で辛くも残った仏像2体の披露
② 中村氏による加久藤カルデラ説明
皆さん、東の方を見てください。加久藤盆地に囲まれた霧島の山々が見えます。
右手前が栗野岳、標高1094メートルです。右から左へ栗野岳、遠くにえびの岳、
手前に飯盛山、次は霧島連山最高峰の韓国岳、標高は1700メートルです。
次が白鳥岳、甑岳、そして夷守山です。これらを囲む盆地は、手前が加久藤カルデラ、
左奥が小林カルデラです。カルデラは火山の爆発により地下のマグマが噴出し地盤が
陥没したところをいいます。加久藤カルデラは今から約33万年前の霧島火山帯の
第1期活動期にできたカルデラです。さて、3万年してから異変が・・・・・・(続く)
③ IKST 吉岡氏による尊氏の詠んだ和歌の説明
発句<尊氏>
「日に向う山のあるじを来てみれば
端山に照らすありあけの月」
南九州随一の名寺般若寺にきて明け方近くふと東の方を見たら八幡の神.武人の神ヤマトタケルが
白鳥となって飛び立ったと言われる白鳥山や霧島の山々が見え、まるで日本の夜明けを告げるように
山々を月が照らしている。
返歌<住職>
吾妻より西の山の井清ければ
西国の井戸及び、般若寺の井戸の水は澄み切っています。
心にけがれがなければ、神仏の恵みがあるそうです。
月日も澄める寺井(てらい)なるらん
今、世の中がごたごたしていますが、般若寺の井戸は世の中を
綺麗にする井戸なんですよ。
月日も澄める寺井(じせい)なるらん
きっと尊氏殿の力で月日も澄める=世の中が治まる
寺井(てらい・じせい)=なるはずです。
【追申】1説には尊氏の庶長子で、弟の直義の養子になった肥後川尻にあった、足利直冬のことを
誤って伝えたのではないかという説がありますが、逆に吉岡氏は貴重な古文書Aを紹介し
「尊氏が般若寺に来たのは本当なのかもしれない」という説明をされました。それは・・・・(続く)
④ IKST 山口氏による茶木の説明
⑤ IKST 中村氏による義弘公時代の五輪塔の前での説明
ここの墓石群は、昭和46年秋に「つつはの郷土研究会」の皆さんにより調査・復元がはじめられたものです。
ここには初代住持の“阿字然”から、26代住持“尊昌”までの、歴代の住持のうち、13人の住持を祀る墓石群が
確認されており、内訳は、逆修の五輪塔が4体、供養塔が8体、墓碑が1体で・・・・・(続く)
⑥ IKST 吉岡氏による「般若寺のしらぜざる史実」と、遺跡群の調査・発掘・復元までの流れの説明
※般若寺は義弘公が加治木に移転させた?
※般若寺の住持は県内で有名なお寺の住持も兼ねていたという。ホント?
※細川幽斎が秀吉の命を受けて般若寺に来た?
※般若寺15代住持頼盛(らいせい)の板碑はなぜ大きいの?
※島津氏14代当主勝久は般若寺に38年滞留した? 勝久とは?
※廃仏毀釈で般若寺が焼かれる前に、建物の1部を菅原神社に運んだという。それは何?
➆ IKST 大重氏によるミタラシ池と周囲の遺構群説明
この池が「みたらし池」です。そこのJRの線路のあるところが参道だったと考えられています。
この池に廃仏毀釈のおり、貴重な鐘や仏像等が投棄されてはいなかったか、近年、教育委員会で底さらい
調査を実施しました。その結果・・・・・
見学会は梅雨本番の最中(さなか)、雨も予想されましたが、その時間だけ
雨も降らず最高の研修日和となりました。IKSTの皆さんにおける一生懸命なガイドにお褒めの言葉を
いただき、参加された皆様に心からの「おもてなし」ができてよかったな。と思っています。実は、
事前にもう1つの「おもてなし」を4名でしました。それは現場の下見と草刈です。特に大重氏はカッパも
着らず作業していただきました。
大満足の研修会でした。 では最後に 「1+1=?」 お後がよろしいようで (^^)/ お疲れ様でした。
2016/5/27 第45回 定期総会
<平成28年度の活動方針>
本年度も目的と事業を推進する中に於いて、会を盛り上げるために
次の4つの項目を提案し、了承していただきました。
①<歴史研究は5W1H(Who
What Where When Why How)で>28年度のテーマ
②<自ら行政イベントや各種団体の行事へ参加して研鑽を深めよう>
③<会員のための古文書・歴史資料等の書棚を2か所設置します>
④<会員の中からいつでも動ける協力応援隊(いっでん加勢をすっど隊) IKST
を募集します。
2016/2/28 町外研修「大和朝廷時代~戦国時代までの国分隼人の史跡を訪ねる」
研修地 隼人塚 鹿児島神宮 富隈城 舞鶴城 国分郷士館
案内者 霧島市生涯学習課 藤波様
文禄4年(1595年)、豊臣秀吉により強制的に隠居
させられた島津義久はそれまで居城としていた内城
を退去する事態に追い込まれ、急遽薩摩国と大隅国
の境にあり、港が近くにあるこの地に屋形を築いた。
これが富隈城である。
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目次 ●阿弥陀三尊懸仏と院政期 ●薩摩藩における廃仏毀釈 ●山田昌厳・新納忠元・中馬大蔵伝 ●公民館のニョーサン ●阿波井堰改築事業 ●愛甲家文書「虎寿丸の祈祷」 ●廃れ行く「流行り唄」「俗曲」をネットで 湧水町に伝わった古き良き時代の俗曲・三味線曲を 中心に歌詞・譜面付きで公開しました。QRコード 経由で視聴可能です。ゴッタン奏者 「鳥集忠男」氏の名曲6曲も家族の許可を得て 限定公開(この本のみ視聴可)しています。 主な曲名 「自転車節」「磯節」「「鴨緑江節」「おちえぶし」「吉松さのさ」 「書生節」「地搗き唄」「栗野道楽」「吉松道楽」「出端」「前引き」 ※40号は販売はできませんが、賛助会員に登録(年1000円) していただくと郵送いたします。 詳しくは 事務局 hayaokidori@po.synapse.ne.jp まで ご連絡ください。 残数 10冊 |
2015/11/26 阿波井堰見学会に20名参加しました
阿波井堰の詳細は http://www.synapse.ne.jp/yuchan/konzyaku/abatokuhou.html ここで
撤去される旧阿波井堰 災害をもたらしましたが
激流に100年耐えた近代化遺産でした 新設の可動式阿波井堰
2014/7/17 ダイヤメ前講習会で「義弘公」を学ぶ
2015/2/15 義弘公が26年過ごしたえびの市を研修
2014 2/23 文化財の清掃活動開始
「かけた情けは水に流し 受けた恩は石に刻む」
石塔には先人達の思いが刻まれています。
2002/11/1 県教育委員会より 県下第一号表彰「文化功労団体」
創立50周年事業その① 我が町の記憶遺産<旧国鉄吉松駅と周辺>の看板制作
創立50周年事業その② 機関誌「つつはの45号」<創立50周年記念誌>