今から440年前、天正年間(1573〜1591年)の初め島津義弘が今の「吉松」に改名
そのいわれについては、鶴丸の菅原神社蔵「亀岡天満宮歴代旧記」にしるされています。
義弘が一時仮住まいした鶴亀城の左右には<鶴丸>と<亀沢>の地名
西の方には竹田村がある。鶴亀松竹は縁起のよいものとされていて
菅原道真の遺言にも「自分が宿った所には必ず松を植えよ」とあり、
よって、島津義弘公がこの地を「吉松」と改め、この地が長く栄えることを願ったものです。
「亀岡天満宮歴代旧記」
亀鶴城(亀ヶ城・鶴ヶ城)とは?
しかし、吉松の出現は天正年間より前にも記述があった?
1394 | 応永年間 | 北原氏7代久兼の弟に「吉松」が生まれる <つつはの4号 窪田仲市郎氏> | |
1543 | 天文12 | 諏訪御由来之絵縁起に吉松民部少輔 の文字<筆者発見す> | |
1394 | 応永年間 | 北原氏7代久兼の弟に7名の子に 吉松の名がある | |
1543 | 天文12 | 諏訪御由来之絵縁起に吉松民部 少輔の名がある | |
1564 | 永禄 7 | 島津義弘、飯野城領主となる 29歳 | 亀鶴城を隠居所にした |
1567 | 永禄 9 | 菱刈氏と戦い、馬越城(伊佐市)を攻略 | 亀鶴城2神社に戦勝報告と鎧寄進 |
1570 | 元亀元年 | 亀岡天神社、亀鶴城二ノ丸より遷座(現在の菅原神社) | |
1572 | 元亀 3 | 木崎原合戦 (九州の桶狭間) | 飯野城普請のため亀鶴城に仮住まい |
天正 元年 | |||
1573 | 天正 2 | 北郷時久と盟友を固める | 「亀岡天満宮歴代旧記」によると 吉松改名はこの頃 |
1577 | 天正 5 | 日向国三ノ山を領有 | |
1578 | 天正 6 | 耳川(日向市)の戦いにおいて大友群を破る |