明治42年〜明治45年(1909〜1912)は肥薩線・吉都線が 相次いで開通して「鉄道の町=吉松町」の幕開けでした。 昭和26年生まれの我々までは山野線・宮之城線も体験できたし、SLも体験しました。 皆さんが卒業して都会に出ていってからも、吉松町に就職した私は鉄道の歴史と30年 つきあってきました。その間、路線の廃止(山野線・宮之城線)、民営化による統廃合で 吉松駅周辺と機関区はその様を替えました。 宿舎があったところはすべてモダンな県営住宅になり、機関区のシンボルの車庫は撤去 され殺風景になりました。 下記に昭和9年頃の吉松機関区の写真帳の1部を掲載しました。 レイアウトしながら・・・・鉄道の町にふさわしい「鉄道資料館」があったならば、写真はもちろん 歴史を刻んだ貴重な道具も保存できたのでは?・・・・今からでも間に合うのでは・・・・ 旧宮之城駅みたいに、駅の隅っこでも「鉄道資料室」ぐらいはできるのでは。・・・・ 鉄道のレール人生のレールをごっちゃにして、昔のことを懐かしむのは私だけでしょうか。 吉松に繁栄をくださった旧国鉄マンのみなさんその伝統を守っておられる現JRのみなさん、 これからもがんばってください。 |
現在の機関区アト
昭和9年頃の機関区
職員集会所(四つ枝踏み切り付近にありました)
当時の乗車風景
当時の技工作業風景
車両点検後の一こま
昭和初期真幸方面から入駅(右則に官舎)
平成13年真幸方面から入駅(官舎が県営住宅に)
(昭和初期)石炭ストーブ、豆電球、そろばん
(平成13年)電熱暖房、蛍光灯、パソコン